■金比羅神社
金比羅神社へ 宿坊跡〜0.3km〜金比羅神社 宿坊の先を右折して登山道を登ってくると目の前に小さな神社が見えてきました。
金比羅神社へ 宿坊跡〜0.3km〜金比羅神社 宿坊の先を右折して登山道を登ってくると目の前に小さな神社が見えてきました。
そしてここが金比羅神社です。
レミオロメンメンバーが小学生時代に麓から夜の暗闇の中を松明を持って登ってきた神社なんです。
御坂西小、御坂中、石和高出身のメンバー3人の本格的な交流が始まったのは石和高校のブラスバンド部からですが、顔見知り程度であった小学生時代の唯一の接点であったのがこの場所です。
メンバーの一人は毎年この場所に登っていたそうですよ。
◇◇◇御坂ふるさと誌より以下転載◇◇◇
尾山の金比羅祭りの紀元は定かではないが、古くから秋の収穫が終了したことを感謝するとともに翌年の豊作を祈願するため、盛大に行われてきた。
この金比羅祭りの行われる金比羅社は、祭神に金山比古命、金山比免命の二神を祀り、古文書によると往時は信徒650人、境内の敷地188坪という神社であったそうである。
また、この金比羅社はもともと金比羅大権現といい、寺の所管であったが、神仏分離の制度により独立し、その後、尾山部落の所有になったと伝えられる。
この祭りは毎年10月10日に行われ、その前夜には前夜祭として、金比羅社のある山のふもとの石柱から金比羅社のある山頂まで40余灯の提灯が立てられ、祭司連という13才から18才までの少年達が桑の木で作った松明を持ち、山頂を目指し登ったといわれる。この松明による灯はたいそう華やかなものであったという。また祭りの当日は多くの露天も出て、一般の参拝者で賑わったといわれる。
こうして盛大だった祭りも戦争の勃発により中断してしまい終戦後1、2回行われたがその後途絶えてしまったという。
さらに祭りの行われる金比羅社も永年風雨損傷が著しく、終戦後取り壊されてしまったそうである。
こうして金比羅祭りは多くの人々からしだいに忘れかけられていたが、しかし昭和50年、この地を訪れた東京都出身の玉村英次郎氏がこのことを知り、私財を投じて本御を新築したところ、このことをきっかけとして、尾山区の人々は祭りの復活を願い、昭和51年10月10日鎮座祭を行い、翌年の昭和52年にはふるさと運動の一環として、前夜祭である松明祭りの準備をすすめ、その年の10月9日に実施された。
こうして、長い間途絶えていた金比羅祭りもふるさとの伝統を守ろうという尾山区の人々により復活したのである。
◇◇◇御坂ふるさと誌より以上転載◇◇◇
実は祭りを復活させる中心となった方はレミオロメンメンバーのご親族なんです。ただ単に神社に登っただけではない深いつながりがあるんです!
実際の金比羅祭りの様子です。<資料提供:笛吹市御坂町尾山区>
出発は尾山区公民館で松明に火が灯されます!
どうですか?雰囲気のある祭りですよね!
尾山区の皆さんのご協力に感謝いたします。
現在は、10月の第一土曜日に開催されていますが、希望すれば誰でも参加できるそうですので、笛吹市役所御坂支所を通じて尾山区の方に連絡してみてください。
レミオロメンファンの力で今後もっと祭りが盛り上がっていくことができることを期待しています。
さて、当時のことに思いを馳せながら、下山します。
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